生命情報とゲノムの基本的な理解

 

基本法則「生命は情報に還元される」

 

生命を成り立たせている原理を,できるだけ一般的な形で,個別的な問題を含まない形で組み立ててみよう。

 

原理1.生物は細胞からできている。細胞は,内外を区別する膜に囲まれることにより内部環境をもつ。また,自己増殖を可能にする遺伝物質を保持している。

原理2.細胞は生体物質が構造化されることによりできている。生体物質には,脂質,タンパク質,多糖類があり,遺伝物質である核酸も生体物質である。

原理3.細胞が自己の構造形成を行うときには,外界から取り入れた高レベルのエネルギーを低レベルのエネルギーに変換する。高レベルのエネルギーとは,エントロピーの低いエネルギーを指す。この過程は不可逆過程である。エネルギー変換の必要性は,構造形成が本質的にエントロピーを低下させる過程であることによる。このエネルギー変換過程は,物質の変換も含み,あわせて代謝と呼ばれる。

原理4.生物が形成しうるさまざまな構造のほとんどは,互いにエネルギー的に差がないが,さまざまな生物の競争の過程で,選択が起きる。この選択は,エネルギー的に安定なものに収束するというものではなく,速度論的なものである。現存する生物の構造は,この選択の産物である。

原理5.生物活動(代謝や構造形成など)は,多数の酵素による触媒反応のネットワークによって進行する。

原理6.酵素はタンパク質(またはRNA)からなり,特定の20種類のアミノ酸が直線的に脱水縮合してできる重合体(ポリペプチド)である。ただし,実際に機能する酵素分子は,ポリペプチドが3次元的に折りたたまれたものであるが,この折りたたみ方(フォールディング)も,アミノ酸の並び方(アミノ酸配列)によって決められている。

原理7.酵素のアミノ酸配列は,遺伝子によって決められている。また,どの酵素をいつどのような場合にどれだけ作るかということも,遺伝子によって指定されている。従って,細胞内の物質の動態は,遺伝子によって支配されている。

原理8.細胞の中で生体物質がどの場所にどのように配置されるかは,一部は生体分子自身の性質により決まるが,多くは,すでに配置された特定の輸送体の作用による輸送に依存している。従って,細胞を無から作り出すことはできない。

原理9.遺伝子の物質的な実体(遺伝物質)はDNAであり,直鎖状の糖とリン酸の共重合体の上に,4種類の核酸塩基が特定の順序で結合している。この核酸塩基の並び方を塩基配列と呼ぶ。

原理10.塩基配列とアミノ酸配列の間には遺伝暗号と呼ばれる対応関係があるが,塩基配列側に少し冗長性がある(多−1の対応)。塩基配列に遺伝情報が含まれる。

原理11.遺伝情報を実際の酵素の構造に変換するには,細胞が持つ転写・翻訳装置が必要である。

原理12.遺伝情報は遺伝物質の半保存的複製を通じて複製される。遺伝物質はもともと互いに相補的な2つの分子からできているため,半保存的な複製が可能になっている。複製には細胞が持つ複製装置が必要である。

原理13.複製・転写・翻訳など細胞装置群は,遺伝情報に対して前提条件として機能する。しかし,これらの装置も遺伝情報に基づいて作られる。異なる生物間で,複製・転写・翻訳装置は機能的に大きな差はなく,これは全生物が単一起源であるためである。しかし,細かいちがいがあるため,完全に互換性があるわけではない。

 

 これらの原理から導き出されるのは,

生命活動は究極的に生物がもつ遺伝情報に依存している。

ということである。言い換えれば,生命は遺伝情報に還元される。

 しかし,このことは,生きている生命体の動作原理が遺伝情報で説明できるということを意味しない。動作原理(原理3)は,遺伝情報とは別の生命の基本的な原理である。また,進化の基本的な原理は原理4である。さらに,遺伝情報だけがあれば,生命体ができるわけでもない。なぜなら,遺伝情報を実際に機能させる(発現する)には,細胞装置が必要だからである(原理13)。細胞装置群とくに,装置の細胞内の配置に関する情報は,遺伝情報に書かれているが,これは,特定の細胞構造を前提としてものである。

 原理13に関連して,細胞装置群と遺伝情報との間には,自己無撞着の関係(self-consistent)がある。これは,原理4の選択の過程で,無矛盾な関係が確立されることを意味する。ところが,このとき,おもしろいことが考えられる。生物Aと生物Bがあったとき,Aの構造を作るための遺伝情報がAの内部にある必要はなく,Bにあってもよい。また,Bを作るための情報がAにあってもよい。すなわち,

 

selfconsistency

さらにいえば,細胞は環境との間でも最適化されている。はじめから最適ではないにしても,長い年月の間に最適化されたものが残っていると考えられる。そういう意味で,生物を理解するのは,単に機械のしくみを理解するということ以上のものがある。つまり,どうしてそういうしくみになっているのかということには,歴史的(進化的)理由があるためである。

 

情報から生命を理解する

 

 生命情報は究極的には「遺伝情報」と「細胞構造に基づく条件」の2つに帰着する。

遺伝情報は基本的に4種類の記号の並び方(つまりデジタル情報)で表されているが,解読の仕方はすべてわかっている訳ではない。すなわち,どこにどのような形態で情報が書き込まれているのかがすべてわかっているわけではない。また,エピジェネティクスといって,DNAのメチル化や染色体構造によって遺伝情報の発現の仕方が調節されていることも知られているので,すべての情報がそのまま機能しているわけではない。

 とはいうものの,コンピュータと生命情報システムとは,かなりよく似ている。コンピュータも2値的なデジタル情報を扱う。記憶装置に情報を保持し,それを複製したり,読み出してさまざまな仕事をさせることができる。反面,大きく異なるのは,コンピュータが閉じたシステムであって,自分自身を変化させることがない点があげられる。遺伝情報と細胞構造の関係は,コンピュータでも同様で,ソフトウェアはそれを機能させるハードウェアに依存していて,変化させるときは,両方をセットで変化させる必要がある。

 

(以上,生命認知科学特論IVの講義録より抜粋,一部改変)