生物学のトリビア  2006年冬学期まとめ

 

生物学ではさまざまな現象をさまざまに説明してきているが,それらの中で本質的なものは何だろうか,生物が成り立つためには今知られているしくみでなければならないのだろうか,という疑問から出発して,一見当たり前のような事柄のいくつかについて調べてきた。

1.DNAは本当に2重らせんか

2.RNADNA,どっちが基本か

3.環境汚染は生命の必然

4.細胞はなぜ分裂するのか

これらの項目について,それぞれ2回ずつ使って話を進めてきた。

さらに,参加学生それぞれによるプレゼンテーションを行った。

5.シナプス可塑性と記憶のメカニズム(ジャクリン・ヤン)

6.細胞増殖と分化の背反性(江夏元)

7.性転換のしくみとその方向・有無(須田遊人)

これらの話は,ミクロからマクロまでさまざまな内容を含み,一見したところきわめて異質な話題にも思えるが,生命とは何か,という本質を考えるための材料をそれぞれに提供している。

 どの話題にも共通していることであるが,単に提示された問題について,生物学として知識を答えるだけでなく,その問題がなぜ問題であるのか,というもう一つのレベルの生物学を探究することを目指した。それぞれの問題点を整理する。

1.DNAには,確かに2重らせんではない形態の分子や分子の一部分が存在する。しかし,それは問題の答えではない。より本質的な問題は, DNAが2重らせんであることが生命にとって必然的であるのかということである。答えは,然り(yes)と考えられる。

2.RNADNAが現在の生物において果たしている役割はそれぞれ異なる。しかし,現在の生物だけを見ればRNAが本当に必要であるのか,はっきりとはわからない。しかし,歴史的にみて生命の誕生に際してRNAが重要な役割を果たしたと考えることで,現在の生物がRNAまたはリボヌクレオチドを利用している理由が理解される。

3.生命は環境と独立して存在するものではなく,たえず環境と物質やエネルギーのやりとりをすることによって成り立っている。従って,生命体は自己を形成していくための,はるかに多量のエントロピーを作り出して排出している。これは最終的に宇宙にまき散らされていることになる。常に不要物を排出する場所を確保しなければ生物は生き続けることができない。

4.原理的には全く分裂しないで巨大化する細胞もあり得ないことはない。表面積と体積の比を適度に保つことができれば,代謝を行うことは可能だからである。粘菌など多核体はその例である。それでも核だけは分裂するのは,単位体積あたりの遺伝情報発現量を確保するためと考えられる。また,巨大細胞は,一部を損傷しただけで全体にダメージが及ぶおそれがあるので,物理的な損傷を速やかに修復する手段を持たなければ生存できない。一般には,細胞を小さな単位にしておく方が,無難と考えられる。

5.シナプス可塑性は現代脳神経科学の重要なテーマである。分子レベルでのさまざまな研究があり,可塑性そのものが感覚経験によって調節されるというメタ可塑性というのもある。LTD(long-term depression)LTP(long-term potentiation)という2つのキーワードで表され,N-methyl-D-aspartate (NMDA)感受性グルタミン酸受容体(NMDA receptor)の活性低下と活性化でそれぞれ説明されている。そもそも神経回路が可塑的でなければ意味がないはずですね。神経は個体レベルでの記憶を保持しているが,生物の歴史はゲノムに刻まれているともいえる。そしてゲノムも可塑的だろうか。

6.細胞の増殖と分化は両立しない,というのは確かに生物学の基本事項である。分化にはエピジェネティクスが関係している。DNAのメチル化やヒストンのアセチル化である。メチル化と細胞増殖の関係はかなりよく研究されているようで,1997年には,シトシンメチラーゼ(MCMT)-PCNA複合体がp21WAF1の標的であり,これで癌化とメチル化の関係が説明できると高く評価された。ただし分化と増殖の関係となるとまだ明確にはわかっていないようである。分化した細胞がそのまま増殖すると,個体としての統一,特に形態形成が正確にできなくなるように思える。だから,分化した細胞がどんどん増殖するような生物は淘汰されたと考えられるのだろうか。

7.性転換の問題以前に,何のために性があるのだろうという問題がある。有性生殖は遺伝子を交換し,種の遺伝子プールから変異をおこした遺伝子を排除するシステムと考えられる。同時に,個体の多様性を増し,環境変動への種としての適応能力を高めることになる。その場合に,性が転換することはどういう意味があるのだろうか。本質的には,雄と雌にちがいはないので,問題は雄と雌の比率を維持することである。精子は小さく数も多いので,雄の体は本来小さくてもよい。従って,成長にともなって雄から雌に転換するのは考えやすい。逆の転換は,社会性動物において,雄が縄張りの維持など集団全体の運命に重要な役割を果たす場合に限られると理解すればよいだろうか。それにしても,性が固定している場合,性が転換しうる場合,はじめから両生を持つ場合,それぞれの生物ごとに最適なシステムを採用していると考えられる。雌雄のバランスのことだけ考えれば,両性具有がよい。しかし,動物は体に比べて卵巣・精巣のサイズが大きく,生殖のために体を作り上げていると見えるが,その場合,両性をもつのはコスト高である。植物は,体に比べて花が小さく,葉の面積が大きければ光合成によりいくらでもエネルギーを獲得できるので両性花を持つと考えられる。有性生殖はまだまだわからないことが多く,これからの研究対象である。