生命科学の基本原理


0. 生命の定義を考え直そう

生命や生物について,教科書はどのように説明しているだろうか。昔の学者はどのように考えてきたのだろうか。
「生きている」というのはどういうことだろうか。
人間がものを考えたり感情を持ったりするのはなぜだろうか。

[註釈:以下, <lat>はラテン語,<E>は英語,<f>はフランス語を表す。]

 古来,哲学者や科学者は,人間とは何か,生き物とはどこが違うのか,そもそも生き物と無生物とのちがいは何か,などをめぐってさまざまな理論を展開し, 観察を行ってきた。ギリシアの哲学者アリストテレス(Aristoteles)は,自然学,植物学,動物学の基礎の上に,人間について考察した。ここでい う自然学(physica <lat>)は物質世界をさし,この言葉は現代の物理学(physics <E>)にまで続いている。これに対し,自然の上に構築した学問が形而上学(metaphysica <lat>)であり,こちらは現在では哲学とほとんど同義語になっている。アリストテレスの形而上学では,動植物を含めた生き物には霊魂 (anima <lat>)があること,植物の霊魂は栄養的能力・生殖的能力に限られること,動物の霊魂は感覚的能力を与えることなどが説明されている。こ の場合,霊魂というのは幽霊のようなものではなく,生き物を生き物たらしめる原理とでも考えたらよい。人間には五感の他に知能(理性)が備わっていること が述べられ,さらに受動的な理性(表象能力)と能動的な理性(思惟,判断能力)が区別されている。アリストテレスは,最終的に,こうした学問の上に,善悪 を判断する人間の行動規範としての倫理学を構築し,それに基づいた理想的な政治学を説いた。
 このような世界の分類の仕方と秩序についての考え方は,近代になっても大きく変わることはなく,近代的な哲学・数学・科学の基礎を築いたフランスの思想 家デカルト(René Descartes)の世界観にも引き継がれている。デカルトは,物質的世界の秩序を解析するための手段としてデカルト座標とそれに基づく数学の体系を作 り,さらにさまざまな機械の動作原理を考察した。さらに,人間の体の中も機械でできていると考えた。もっともデカルトの哲学として後世に影響を与えたもの は,機械論・唯物論ではなく,「我思う,ゆえに我あり」(cogito ergo sum <lat>)に基礎を置く観念論であった。
 1907年に創造的進化(évolution créatrice <f>) を唱えたフランスの思想家ベルグソン(Henri Bergson)は,生命には連続性があるが,生命の勢い(élan vital <f> はずみ,躍動とも訳される)によって多様な進化を遂げると考えた。そこで,アリストテレス以来段階的なものと考えられてきた植物的生 命(自発的栄養取得による生存),本能的生命(動物),知性的生命(人間)について,同じ生命の勢いが別々の方向に進化させたものと考えた。ベルグソンの 著書には,当時の知識に基づいて,無生物は機械論が支配するが,機械論でも目的論でも生物を説明することはできないと考えた。有機物による生命類似物の模 倣実験(有名なオパーリンのコアセルベート説は1924年の発表であるが,ここでは,1892年のビューチュリ(Bütschli)による論文が引用され ている)について述べられているものの,無生物から生物が進化するかどうかはわからず,生物は無生物にない特徴として生命の躍動をもっていると考えられ た。化学進化の根拠となったミラーの放電実験は1953年になってからである。ベルグソンの生命の躍動は生気論(vitalisme <f>)に基づくものではなく,生命に内在する自発的な発展の勢いを漠然と表したもので,分裂や分離をその特徴としている点で,生命が自発的 に多様なものに分化していく傾向を表現したもののようである。ベルグソンは現代物理学で話題となっているカオス(元々は均一な系が非線形不可逆変化によっ て可能ないくつかの状態のどれかになる)のことは知らなかったので,無機物を支配するのは機械論的決定論であって,予測不可能な確率的な分岐がおきること などは想定していなかった。いずれにしても生命の躍動の概念は,今の生物物理における「自己組織化(self organization <E>)」に近いものと,自然淘汰や遺伝的浮動に基づく多様性進化の原理に相当するものをあわせたような概念と見ることができる。別に述べる ように,自己組織化はエネルギーの不可逆的な流れによってエントロピーの排出を起こすものであるのに対し,進化はエネルギー的にはほぼ等価なものの間の偶 然による選択であるので,両者の本質的原理は異なる。これに対し,生気論というのは,生物には無生物にはない特別な原理があることを前提としているので, élan vitalとは根本的に異なると見ることができる。
 さて,生命については,20世紀の代表的な物理学者であるシュレーディンガー(Erwin R. J. A. Schrödinger)が,1944年に「生命とは何か(What is Life?)」という本を書いて,生物は「負のエントロピー(negentropie)」を食べることによって生きているということを述べた。これは物理 学者が生命に興味をもった黎明期であって,その後,WatsonとCrickによるDNAの分子構造モデルの提案を経て,分子生物学の台頭の契機となっ た。ここで,負のエントロピーについてもう少し説明する。通常,物質の世界では,自発的に起きる変化では,自由エネルギーが必ず減少する。ギプス (Gibbs)の自由エネルギーGは,エンタルピーHとエントロピーS,および絶対温度Tとの間に,次の関係がある。
G = H – T S
エンタルピーあるいは(定圧条件が一般的なので)事実上内部エネルギーの変化があまり大きくなければ,自発的に起きる変化はエントロピーの増大を伴う。エ ントロピーは無秩序さ(乱雑さ)の尺度であるので,世界は無秩序に向かうと一般にはいわれているが,それほど単純でもない。結晶の成長など自発的に秩序が できる場合もあり,こういう場合には,エンタルピーの変化がエントロピー変化の項を上回っていて,全体としてGは減少するわけである。鉄の錆も同様で,鉄 が錆びるときには,空気中の酸素が結合し,酸素についていえば,運動の自由度を失うのでエントロピーは大きく減少する。それでも鉄が容易に錆びるのは,鉄 原子と酸素原子の結合によるエンタルピーの減少がきわめて大きいためであって,全体として大きな発熱を伴って,自由エネルギーは減少する。
 生命は当然無秩序の反対の極にあり,生物が死ねば体を作っている物質は分解し,秩序がなくなる方向に向かう。ということは,生物が生きているときには, 常に秩序を形成し続けているということであって,これは,食糧として取り入れた有機物の大部分を分解して二酸化炭素と水やアンモニアに変えることで,外部 に多量のエントロピーをはき出し,その代わりに自身のエントロピーを減少させるという芸当をしていることを意味している。これを称して,生物は負のエント ロピーを取り入れていると表現したわけだが,別の言い方をすれば,これは,生命の存続には必ず環境のエントロピーの増大が不可欠であることを意味してい る。簡単に言えば,生命の存続には環境汚染が必然であるということになる。もちろん,ここでいう環境汚染は,ゴミや汚染物質のことではなく,水と二酸化炭 素とアンモニア,あるいは,熱を指している。誤解のないように説明すると,人間のすべての活動によって排出される熱量は,太陽から地球に供給される熱量の 0.02%に過ぎず,現在の地球の温暖化の原因とはならない。

生命の新しい考え方,「めぐり めぐむ生命」については,ウェブの別のページで解説している。