生命科学の基本原理


「競合者排除の原則」
 

生命現象は,ある因子が別の物質なり細胞なりを制御するということの集積に よって成り立っている。その場合,制御因子としては多数の分子が考えられ,実際,複数の因子が強調して働く場合もあるが,多くの場合は,主要な因子は決 まっている。生物における制御は,電子回路における制御のように決定論的なものではなく,本来はさまざまな制御の可能性が共存しているのだが,実際の場面 では,特定の制御因子による制御が主要なものとして表れてくる。普通の生物学の知識としては,この特定の制御因子による制御を知識として列挙していくの で,暗記物の集大成のようになってしまうのだが,では,なぜその因子が制御因子として成り立つのか,という見地からの検討はない。転写因子など非常に多数 の類似物質が共存するなかで,特定の因子が優越した制御能力を発揮するためには,選択的な制御の能力と同時に,別の可能な因子による介入を抑制する必要が ある。他を排除するということは,生命現象の中でも,もっとマクロなレベルで,生殖行動などでは一般的であるが,ミクロなレベルで考えられることはなかっ た。

 ミクロなレベルでの反応性は,一般に,タンパク質間相互作用の特異性によっ て支持されている。一般に,in vitroで証明されたことでもin vivoで成り立つとは限らないといわれるのは,in vivoでは,相互作用可能な因子の数が飛躍的に多いため,in vitroで見られた特異的な相互作用が妨害される可能性があると考えればよい。細胞内における物質の相互作用や,生体内における細胞間相互作 用は,周りにあるさまざまな類似物質との差別化によって支えられている。その場合,どんなに特異性の高い分子間相互作用といえども他の物質との相互作用に 比べて圧倒的に強いということは滅多にない。抗原抗体反応は極めて稀な特異的相互作用の例であるが,これとても,類似物質との反応性が皆無というわけでは なく,特にモノクローナル抗体の場合の特異性は,ポリクローナル抗体(つまり同じ分子の異なる部分を抗原とするモノクローナル抗体の集合)には遠く及ばな い。分子間相互作用の例としては,遺伝子の調節配列となるDNAとそれを認識 するDNA結合タンパク質もある。この場合,結合の特異性は,競合実験により確かめられる。多くのDNA結合タンパク質は,どんなDNAに対しても多 少の親和性を示すが,特定の塩基配列に対する結合の特異性は,類似配列をもつDNAとの競合を調 べることで確かめられる。1塩基だけ変えた配列の共存下でも,特定の配列のDNAとの結合が阻 害されなければ,配列特異性が確認されたことになる。普通は行われないが,逆も考えられる。つまり,同一のDNA断片に対して親和性をもつ2種類のタンパク質があった場合,一方の存在下でも他方のタンパク質が選択的にそのDNAと結合するのなら,結合の特異性があると結論することができる。同様のことは,酵素の選択性として以前から指摘されてきた。ある酵素 が2種類の基質を利用する場合,それぞれの基質を単独で使って反応の特性(Km, Vmax)を調べたとしても,2種類の基質が共存する場合の反応を予測することは難しいというのである。優先的に利用される物質との反応が主と して起こるということが多い。だから,細胞の中で起こる生化学反応は,それぞれの物質単独の場合の反応定数だけで想像されるものとは異なってくる。このよ うなことはわかっていたが,反応の特異性が,類似物質との競合の中で決められるという意味では,従来の考え方の枠で理解できるものであった。

 ここで提案したいのは,類似物質との競合があるときに,より優越した相互作 用をもつ物質が,問題の相互作用とは全く別のしくみや経路で,競合相手を排斥する可能性である。これは,転写制御ネットワークやシグナル伝達ネットワーク におけるクロストークで知られていることであるが,それをさらに一般化できるのではないか,という提案である。DNAの複製開始では,特定の配列が複製開始点として優先的に利用され,他の配列は開始点としては排斥される。一般には,複製開始複合体の 形成において,複数の因子が複数の配列要素を認識することで,複合体形成の配列特異性を高めていると理解されているが,果たしてそうだろうか。転写の開始 では,RNAポリメラーゼがゲノム上のさまざまなところに結合していて,それを転写因子がリクルートしてくるというように理解されている。翻訳に 至っては,リボソームがmRNAの特定の構 造や配列を認識して開始することになっているものの,どうしてあるAUGが開始点とな りすぐ近くにあるAUGがならないの か,また,近くにAUGがあってもGUGUUGが開始コドン として使われる例などの理解はできていない。こうした問題についてこれまで欠けていたのは,類似分子を積極的に排斥するしくみの存在ではないだろうか。実 際,生命現象の特異性,特に「全か無か」という明確な反応性(悉無性)を生み出すしくみは,未だに理解されていない。さまざまなところで正のフィードバッ クで説明されている。しかし,類似のものが共存しているときに,それを排斥することができるだろうか。

 マクロな現象では,競合者の積極的排除の原則が広く見られる。もっともよく 知られた例は,植物成長における頂芽優性である。植物には成長可能な芽がたくさんあるのだが,中心の茎の先端にある茎頂が優先的に成長し,その他の側芽の 成長は抑制されている。この抑制は,茎頂から分泌される植物ホルモンであるオーキシンの作用による。茎頂を切断すると,この抑制がなくなるため,側芽の成 長が始まる。ある種のシアノバクテリアは,培地中に窒素源がなくなると,ヘテロシスト(異質細胞)を作り,そこで窒素固定を行うようになる。しかし,この 細胞は,連続してならんだ細胞列の中のごく一部の細胞だけが分化してでき,全部の細胞が分化することはない。この場合,先にヘテロシストになった細胞は, 他の細胞が分化するのを抑制していると考えられている。その抑制のしくみとしては,ヘテロシストが作った窒素化合物を分配することも含まれるだろうが,他 に特異的な分化抑制因子としてPatSと呼ばれる ペプチドホルモンが知られている。同様の考え方は,人間の脳にも当てはめられる。脳梗塞などで脳の一部が機能しなくなると,その部分が支配していた運動機 能などが麻痺する。ところが,リハビリを行うと,元々は他の活動を支配していた脳の別の部分が,その欠けた機能を代替することができ,機能が回復すること がわかってきた。これは,脳の可塑性として理解されているが,逆に考えると,もともと脳のさまざまな部分がさまざまな機能の支配をすることができ,しか し,正常な発生を完了した個体では,脳の特定の部位は特定の身体機能の支配をするように特化している。普通は,単にそれだけの認識なのであるが,裏を返せ ば,この特定の機能支配関係の陰には,他の神経が伸びてきて支配を行うことを阻害しているということがあると考えられる。ある神経が特定の支配をするとき に,他の神経が介入するのを妨げることで,特定の支配を確固たるものにすると考える。その場合,ある神経が損傷を受けると,適当な刺激が加えられれば,別 の神経が機能的に代替できるようになる。その場合,神経支配の特異性を保証するのは,別の神経に対する阻害と考えられ,この阻害の正体を突き止めれば,脳 の可塑性をさらに高めることにつながる。

 生命現象は,とかく合目的的な図式だけで語られることが多い。しかし,その 裏には,非特異的な多数の相互作用の可能性があり,これをどのようにして抑制するのかということが生命システムをシステムとして成り立たせている根本的な 問題と考えられる。生命の進化は,機能分子の合目的的な機能改変で理解されることが多いが,その裏には,類似分子の排斥のしくみも内在していると考えられ る。こうした「負の進化」,あるいは,「競合的な進化」の解明が生命システムの本質の理解には不可欠である。進化では,ダーウィンの自然淘汰説と木村資生 の中立説が対立している。多くの機能分子の進化では,積極的に有利になる変異はなかなか存在せず,中立的な変異が蓄積するというのが今の分子進化の考え方 であり,それでは有利な形質の進化の理解ができない。しかし,上のように生命の本質を理解した場合,不必要な相互作用の排除は生命の本質である。これに は,はじめに述べたような類似分子間の競合と,後半で述べた更に積極的な競争者の排除がある。前者は容易に自然淘汰によって理解でき,有利な形質の蓄積と 見なすことができる。これは

従来全く考えられてこなかった進化の仕組みである。後者に関しては,実際の排 除の仕組みがさまざまであるので,一般論は難しいが,排除のための仕組みを別に作るとなると,自然にはできないので,偶然に適当な競争者排除の仕組みがで きたときにそれが自然選択されたと考えるほかない。普通の機能分子の進化では,遺伝子重複を前提にしなければならないが,これに関しては,遺伝子重複を必 要としないはずなので,無理な仮定ではないと考えられる。