2010年度の研究テーマ解説
生命認知科学科・生命環境科学系/広域システム科学系
佐藤直樹研究室
卒業研究,修士課程,博士課程志 望の参考となるよう,研究室の研究テーマを簡単に解説します。
全体像:地球上には多様な生物 が暮らし,生命現象もきわめて多様ですが,その中に潜む生命の基本的な原理があるはずだと考えています。ポストゲノム時代の生命研究では,個別の遺伝子を 調べることも大切ですが,それ以上に,生命を成り立たせているシステムの全体がどのような仕組みで成り立っているのかという基本原理を意識して研究するこ とが求められます。そこで,生命の基本原理の解明を念頭に,よそでは行われていないような独自な研究に絞って研究を進めようと考えています。方法として は,実験ももちろんしますが,それに加えて生物情報解析(バイオインフォマティクス)や数理モデルの解析など,計算機を用いた手法を用いています。
材料:主として光合成生物を中 心として扱いますが,材料にはこだわりません.実際に研究室で扱っている生物は,シロイヌナズナ,ミヤコグサ,エンドウ,ヒメツリガネゴケなどの陸上植 物,クラミドモナス(緑藻),シアニジオシゾン(紅藻),さまざまなシアノバクテリア,テトラヒメナ(原生生物),そして当然,大腸菌もです。
主なテーマ:研究室のテーマは
以下の通りです。
1.新型シーケンサによる全ゲノム解読とゲノム進化解析
進化は生命の基本的な特徴で, 生命情報はすべてゲノムに書き込まれているので,ゲノムの進化の基本的な仕組みを解明することは,生命の最も重要な特徴を解き明かすことにつながります。
研究室では,ゲノム進化の解析 を,比較ゲノム解析という手法により行ってきました。これは,相同遺伝子をさまざまなゲノム上で見つけ,さまざまな生物に相同遺伝子が保存されている状況 を全体として調べます。この作業は,研究室で開発したGclustというソフトウェアにより行います。その結果を整理したものが,ウェブサイトで公開され ています。また,この情報を利用して,光合成生物に保存された遺伝子を探したり,根粒菌に保存された遺伝子を探すことができました。今後はこれらのそれぞ れの遺伝子の機能を実験的に解析する計画です。さらに,新型シーケンサを用いて,いくつかのシアノバクテリアや藻類のゲノム配列の解析を進めています。こ のようなデータもGclustによる解析によって,簡単に他の生物のデータと比較することができます。こうしたゲノム 解析の手法の開発と,それを用いた進化の解析を大きなテーマとしています。
2.クラミドモナスやシアノバクテリアの運動によるパターン形成
生命の別の特徴は,ひとりでに 形を作ることができるというものです。人間の体ももとは1個の受精卵が分裂してできています。発生はきわめて高度な遺伝的プログラムに基づいて行われます が,特別な遺伝的制御がないように見える最も単純な形態形成の系が,クラミドモナスの細胞が示す生物対流や運動性シアノバクテリアが示す渦巻き形成や3次 元構造形成です。これらは,19世紀にはすでにネーゲリによって記載されていましたが,パターン形成が生命の基本に関わるという認識が生まれたのは,20 世紀後半です。
研究室では,クラミドモナスの 生物対流を横から観察する顕微鏡をつくり,その運動を高速で記録し,数理的な解析を行っています。シアノバクテリアの運動についても,カメラで記録した像 を解析しています。遺伝子による支配なしで形ができるという不思議な現象に,遺伝子支配が加わることで,多細胞生物の形態形成が可能になるのではないかと 考えています。
3.オルガネラの細胞内不均一性による環境耐性の調節
これはまだ誰も知らない新しい 研究分野です。細胞内には葉緑体やミトコンドリアなどのオルガネラがたくさん存在しています。教科書には,これらのオルガネラのタンパク質が核にコードさ れていて,細胞質でつくられてから,オルガネラに輸送されることが説明されています。このようにオルガネラは核の支配下にあるのですが,それでは,核は一 つ一つのオルガネラに対して個別に制御をしているのでしょうか。しているとするとどのような仕組みによって可能になるのでしょうか。
実際の植物の細胞を観察する と,葉緑体は大きさもまちまちで,分裂するタイミングもバラバラです。しかも,遺伝子導入をすると発現したタンパク質の局在量もまちまちです。どうしてこ のようなことが起きるのでしょうか。もともと1個の細胞内のオルガネラは不均一なのではないでしょうか。それによって,環境ストレスに対する抵抗性を得て いるのではないでしょうか。不均一な系は,カオスのようにちょっとした刺激がきっかけとなって分岐することがあります。細胞のオルガネラもそうした挙動を 示すのではないでしょうか。現在,どんな実験をするとよいのか検討しています。
4.光合成生物の栄養と光による細胞周期制御(コケ,紅藻)
生命の基本原理に関わる重要な 問題として,細胞の増殖があります。細胞が増えるときには分裂します。分裂から次の分裂までの期間を細胞周期と呼びます。動物や菌類など,光合成をしなく て外からの栄養に依存して生活する生物では,細胞周期の制御に栄養が関わっています。十分な栄養があるときにしか,DNA複製を始めない,つまりS期に入らないのです。これに対 し,光合成生物では,光が細胞周期を進めるシグナルであるという考え方があります。これについて,研究室では,シアニジオシゾンという単細胞紅藻の高度同 調培養系を確立し,それを用いて,栄養が細胞周期進行に重要であるということを見いだしました。光は光合成を通じて栄養を供給することができるので,光そ のもののシグナルが重要なのか,栄養が重要なのか,という問題があります。現在,これについて,詳しい実験を進めています。
植物で同様の実験をするのは難 しいのですが,コケの原糸体細胞は一つの細胞を観察することができるので,細胞周期を直接顕微鏡で観察して調べることができます。現在,上の問題をコケで も調べようと準備をしています。
5.安定同位体と質量分析を用いた代謝フロー解析
生命のもう一つの基本が代謝で す。現在,メタボローム解析が盛んですが,そこでは,細胞内のたくさんの代謝産物を機器分析によって分離し定量することが行われています。しかし,こうし た解析は,細胞のある1時点におけるスナップショットを与えるだけです。代謝はものの流れです。流れ(フロー)を直接測定するには,物質を標識する必要が あります。以前は放射性同位体(ラジオアイソトープ:RI)が用いられましたが,危険性があることと,物質量の定量が難しいなどの問題があります。これに 対して,安定同位体は,感度こそ低いものの,普通の実験室で実験ができる上,定量が精密にでき,さらに,一つの分子内での標識の分布を詳しく調べることに より,一つの代謝物質の代謝回転を測定することができます。これには質量分析という方法を使いますが,得られた質量スペクトルそのものから必要な情報を取 り出すためには,かなりの計算が必要です。これを行うソフトウェアC13distを開発し,これによって,シアノバクテリアの脂質の代謝回転を測定しています。さらに遺 伝子破壊株の利用などにより,詳しい解析ができるようになります。
6.核様体タンパク質である亜硫酸還元酵素による環境浄化
葉緑体には,細胞内共生の結果 シアノバクテリアからもたらされた葉緑体ゲノムがあります。葉緑体ゲノムつまりDNAは,そのままストロマに溶けて漂っているのではなく,タンパク質とともに固まって核様体 という形で存在しています。研究室では,これまで,たくさんの核様体タンパク質を発見してきましたが,その中に亜硫酸還元酵素という酵素があることが分か りました。この酵素は,イオウ同化系においては亜硫酸を硫化物イオンに還元する働きを持ちます。この作用とDNAへの結合がどのような関係 になっているのかはまだよく分かりません。in vitroの実験結果では,DNAがあっても酵素活性に大きな変化は見られませんが,もっと詳しい実験が必要です。さら に,亜硫酸ガスは大気汚染の原因物質の一つですが,亜硫酸還元酵素が働けば,有毒な亜硫酸ガスを取り込んで栄養として利用することができます。亜硫酸還元 酵素を活用した環境浄化も可能ではないかと考えて,亜硫酸還元酵素が示す多面的な性質の解析に取り組んでいます。
以上,研究室の主な研究内容を簡 単に解説しました。詳しいことが知りたい方は,メールで問い合わせた上で,研究室に尋ねて来て下さい。
平成22年11月記す。