めぐりめぐむ生命(その7)
定常的なサイクルの意味

普通の理科の教育では,自然科学のお手本は物理学,それも力学である。
力学ではまず加速度と力の関係が教えられる。1kgの鉄と1kgの綿が同じ速さで落下するという話に驚く。しかし,それは真空中の話である。
現実世界では質量が同じでも密度の小さい物体はゆっくりと落ちるし,おなじ密度でも質量の小さな物体は落下速度が遅い。
ごく当たり前の日常感覚である。この原因は,摩擦である。摩擦がある条件での定常的な速度は,質量に比例する。
一方で,物理学でも,電気の話だとだいぶ違う。
単位電荷を持った点などを身近に実現するのは難しく,日常的な経験がない反面,電流はいくらも利用されている。オームの法則も当たり前のように知られてい るが,簡単にいえば,上の摩擦があるときに定常速度の議論に近い。つまり孤立した一回性の動作と定常的に続く動作では,支配する法則が異なるのである。

生命はどちらに似ているかといえば,当然電流に似ている。何らかのものが循環して定常的な状態を保っているからである。細胞レベルでもそうだし,生物進化 というのも生物種間の競争の定常状態を見ているからこそ,環境にもっとも適応した生物が堂々と世の中に存在しているわけである。
定常状態それも循環系の定常状態というのは不思議である。目的と原因が一致してしまうからである。

少し詳しく説明しよう。
ギリシャの哲学者アリストテレスは,ものが存在する4つの原因を区別した。質料因(原料・素材),始動因(作者),形相因(本質・しくみ・原理),目的因 である。今から見ると,原因という言葉にはほど遠いようにも感じるかもしれない。日常感覚では,ものの原因はたいていは誰かが作ったからである。しかし生 命は誰かが作ったから存在するわけでもない。少なくとも,進化の産物であるので,はじめからこの姿で存在したわけでもなく,そもそも人間という生き物とは 何かと考えると定義は難しい。目的因は現代的感覚では原因とは認められない。しかしそれは上の一回性の動作で考えた場合であって,循環的に繰りかえされ定 常状態に達した系を考える限り,目的因と作用因さらに形相因も一致する。古来,生命は物質とは異なる生気が宿っていると考えられたのも,この理由による。 そう考えると,不思議が一挙に氷解するように思える。

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Last update: May 11, 2009
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